大判例

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東京地方裁判所 昭和33年(行)3号 判決 1960年4月28日

原告 石原林蔵

被告 内閣総理大臣

訴訟代理人 岡本元夫 外三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一双方の申立

(一)  原告

「原告が昭和三二年七月一七日原告に対しなした訴願棄却の裁決を取消す。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求める。

(二)  被告

主文と同旨の判決を求める。

第二原告の主張

一、原告は大正一四年五月台湾台中州森林主事に任命され、勤務中、昭和五年八月七日保安林内巡視の際突然の倒木のために右大腿部を強打して右大腿骨骨折を来した。その後原告は、昭和七年二月二九日台湾総督府技手に任ぜられ、即日願により本官を免ぜられたことによつて同年八月一九日付で文官普通恩給を給されたが、その後、在職中に受けた右傷痍の症状が増進したので、昭和二七年八月二日総理府恩給局長に対し公務傷病による恩給を請求したところ、昭和二九年九月一八日請求棄却の裁定をうけた。そこで原告は右裁定を不服として同年一二月二日総理府恩給局長に具申したところ、昭和三〇年一一月二五日具申棄却の裁決をうけたので、さらに昭和三一年二月二七日被告に対し訴願したところ、被告は昭和三二年七月一七日右訴願を棄却する旨裁決し、その頃原告にその旨通知した。

二、しかしながら、総理府恩給局長のした傷病恩給請求棄却の裁定は違法であり、したがつて右裁定を認容した被告の訴願裁決も違法である。

(一)  原告は、前記右大腿骨骨折の傷痍をうけ、直ちに台北病院に入院治療をうけたが全治しなかつた。しかして、当時の容態は昭和五年一一月一五日付医師大場辰之允作成の診断書(甲第一号証)のとおりであるが、その後の傷痍悪化の経過は次のとおりである。

(1)  右の骨折により右足が左足より約四糎短縮し、患部大腿骨は弓形に外側に湾曲したため歩行困難となり、膝関節の疼痛を感ずるようになり、退職後である昭和一〇年前後より左下腹部に鶏卵大の腫れを来たし、すなわち右大腿骨骨折による機能障害換言すれば跋行による脱腸(ヘルニア)の兆候があらわれたが、台湾在住中は強い労働をひかえていたため、余り苦痛を感じなかつた。

(2)  終戦後昭和二一年三月台湾より引揚げたが、永年の熱帯地生活から内地の生活に変り、急に気候が変つたのと、当時食糧事情悪かつたため開墾などに従事し烈しい労働をしたのとで、その頃から歩行困難の度を増し、かつ膝関節の疼痛激しく、これが年とともに程度を増し、昭和二二年頃より右ヘルニアの脱出の度が加わり、昭和二五年頃には疼痛を来し、脱腸帯の常用を要するに至つた。

(3)  昭和二九年三月頃より両側坐骨痛を来し現在に及んでいる。

(二)  右のように、原告のうけた傷痍は、退職当時は傷病恩給を請求する程度に至つていなかつたが、その後の自然の経過により、症状が悪化したものであつて、右の左鼠蹊ヘルニアも背椎変形による坐骨神経痛もともに前記大腿骨骨折を原因として次々と発現するに至つたものであることは、医師の診断によつて明らかである。

(三)  したがつて恩給局長としては、原告の傷病恩給の請求に対し、恩給法第四六条第二項または第四六条の二第二項により傷病恩給を給すべきであり、それが理由がなければ、右法条のそれぞれ第三項により傷病恩給を給すべきであるから、これを棄却した恩給局長の裁定は違法であり、被告の訴願裁決も違法である。

三、よつて被告のなした訴願裁決の取消を求める。

第三被告の主張

一、原告の主張第一項は認める(ただし、原告主張の傷痍の症状がその後増進したことは知らない)。同第二項の事実中、原告が台北病院において入院治療をうけたこと、昭和一〇年前後より左下腹部に鶏卵大の腫れを来たし、脱腸の兆候があらわれたこと、昭和二二年頃より脱腸帯を使用するに至つたこと、は認めるが、原告主張の左鼠蹊ヘルニアと坐骨神経痛とがともに大腿骨骨折に基因して発生しそれが増悪したものである点は否認する、その余の事実は知らない。

二、恩給法第四六条第二項または第四六条の二第二項の適用があるのは、退職後五年内に恩給を請求した場合に限られるのであつて、本件のように退職後二〇年以上経過した後請求した場合にはその適用はない。また第四六条第三項または第四六条の二第三項に該当するというためには、現症が公務に起因していることを要するのであつて、本件についていえば、原告主張の歩行障害、膝関節の疼痛、脱腸が昭和五年八月七日受けた右大腿骨骨折に基きそれが増悪して生じたものであることが立証されなければならないが、歩行障害、膝関節の疼痛については、原告挙示の大場医師の昭和五年一一月一五日付診断書は恩給局長に提出されず、その他原告が恩給局長に提出した資料では受傷当時の症状が明らかでなく、かつ右大腿骨骨折に基きそれが増悪して現症を来たしたことを認めるに足る資料もなかつたので、公務に起因したものとは認められず、また脱腸(左鼠蹊脱腸)は老人性脱腸であつて、それと大腿部強打の間には医学的に関連性がなく、従つて公務に起因するものとは認められなかつたので、恩給局長は原告の傷病恩給の請求を棄却し、またそれに対する具申も棄却し、被告もその具申裁決に対する訴願棄却の裁決をしたのである。したがつて本件訴願裁決にはなんら違法の点はない。

第四証拠<省略>

理由

一、原告は本件訴状において、被告のなした訴願裁決の取消のほか、恩給法第四六条の二による傷病恩給を給すべしとの請求の趣旨を掲げ、また昭和三三年一二月一五日付訴状訂正書においては、右裁決取消のほか、被告は原告に対し恩給法第四六条による相当の増加恩給または同法第四六条の二による傷病年金を給すべしとの請求の趣旨を掲げているが、これらは年金又は一時金としての金銭の給付を求めているとすればその金額が特定しておらない点で不適法であり(被告適格の点は別にしても)年金又は一時金を支給すべしとの行為を求めているとすれば行政庁に対し行政処分をなすべきことを求める訴として不適法のものとならざるをえないから、むしろ右請求の趣旨としているところは、恩給局長が右各法条により原告に対し傷病恩給を給すべきものであるのにそれをなさないことを不服の理由として主張し被告の訴願裁決の取消を求めることにあるものと解する。

二、原告の主張第一項の事実は、その主張の傷痍症状が増進したとの点を除き当事者間に争ない。ところで、公務員が在職中の傷痍疾病により、退職後において不具癈疾ないし一定程度以上の傷痍に達した場合の傷病恩給の支給につき、恩給法は、退職後五年内に、公務による傷痍疾病が原因で、(一)不具癈疾となつたときは新たに普通恩給及び増加恩給を給し(第四六条第二項)、(二)不具癈疾の程度には至らないが、一定の程度以上の傷病に達したときは、傷病賜金を給し(第四六条の二第二項)、右いずれの場合も、退職後五年の期間内に請求すべきものとし、退職後五年を経過した後においては、裁定庁において恩給審査会の議に付するのを相当と認め、かつ恩給審査会において、(一)不具癈疾が公務に起因したことが顕著であると議決したときは、議決をした月の翌月からこれに相当の恩給を給し(第四六条第三項)、(二)その傷病が公務に起因したことが顕著であると議決したときは、これに傷病賜金を給する(第四六条の二第三項)旨それぞれ定めているが、右規定の趣旨は、在職中の公務傷病を原因として生じた不具癈疾ないし傷病が、退職後相当の長期間を経てあらわれる場合、公務と不具癈疾ないし傷病との間の因果関係の判定が甚だ困難であり、無制限に傷病恩給の請求を認めることは、かえつて給与の公平を損うことにもなるところから、増加恩給ないし傷病賜金の請求につき、それぞれ前記二つの場合に限りこれを認めたものであり、しかも、右各第二項の退職後五年内に生じた症状について、その請求に期限を設け、右五年の期間内に請求すべきものとしたのも、すでに、公務との因果関係の判定が一般に困難であることを考慮してのことと考えられるが、さらに、前記各第三項の規定が右各第二項の場合と異り、不具癈疾ないし傷病が、公務に起因すること顕著であることをとくにその条件にしているのも、その場合は、退職後五年以内のものよりも、さらに一層公務との因果関係の判定が困難であるからにほかならない。

原告は公務による右大腿骨骨折の傷痍が、退職後の自然の経過により悪化し跋行による脱腸及び両側坐骨痛の傷痍となつた旨主張するが、原告が退職したのは昭和七年二月二九日であるところ、原告は右退職当時の傷痍について恩給支給方の申請をなさなかつたことは原告自ら認めるところであり、右退職の日から五年内に原告主張の各傷痍が生じたことについては原告提出の全証拠によつてもこれを認めるに足らない。(原告自身昭和一〇年頃脱腸の兆があらわれたというにすぎず昭和二一年三月帰国まではさしたる苦痛はなかつたと主張している。)したがつて、原告の恩給法第四六条第二項ないし第四六条の二第二項の規定による恩給の請求はいずれも理由がないといわなければならない。一方恩給を受ける権利は、その症状固定の日から恩給法第五条所定の七年間を経過したものについては、時効により恩給権は消滅したものと解すべきであるから、結局、原告が恩給局長に対し本件恩給請求をした昭和二七年八月二日より七年前即ち昭和二〇年八月二日以降に新たに生じた症状についてのみ、恩給法第四六条第三項ないし第四六条の二第三項の適用の当否が問題になるわけである。

三、そこで、成立に争ない乙第一号証の五、六、八、一〇によると、原告は昭和二二年頃から左鼠蹊脱腸、昭和二七年頃から右膝関節炎の各症状を呈するに至つたことを認めることができ、被告の本件裁決時の原告の症状については、本件口頭弁論に提出された各診断書中、右裁決時に最も時間的に近接した時の作成にかかると認められる成立に争ない乙第二号証の四(医師大場辰之允作成の昭和二九年一一月二〇日付診断書)によれば、左鼠蹊ヘルニア変形性背椎症兼両側坐骨神経痛であることが認められ、右現症が、公務中の傷痍である右大腿骨骨折と全く無関係でないこと即ちそれが原因の一半をなしているであろうことは、前記乙各号証のほか、いずれも成立に争ない甲第二、第三号証、乙第一号証の九、同号証の一八、同第二号証の五、の各診断書及び証人大橋良三の証言により充分認められるところであるが、右各傷痍が右大腿骨骨折に基因し且つ自然の経過で発生したことが顕著であることについては前記各証拠によつても肯定するには十分とはいえず、かえつて、いずれも成立に争ない乙第一号証の一五、一六、同第二号証の八、同第三号証の二、の各診断書及び証人吉岡一の証言によれば、右現症は、原告の大腿骨骨折の公傷がなかつたならば生じなかつたであろうとは必ずしもいえない関係にあることが推認されるのである。このように、原告主張の現症は公務に起因したものとは断定できず、しかも、かりに公務に起因するものといえるとしても、そのことが顕著であるとは本件全証拠によつてもとうてい認めることができないから、原告の恩給法第四六条第三項ないし第四六条の二第三項の規定による恩給の請求もいずれも理由がないといわなければならない。

四、以上のとおりで、恩給局長のなした請求棄却の裁定は違法でなく、したがつて被告のなした本件裁決も違法といえないから、原告の本訴請求は理由がない。

よつてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石田哲一 地京武人 桜井敏雄)

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